死について考える

当店の猫たちが不治の病気や老衰でいよいよ弱ってきたとき、
どういう基準で動くかというのはある程度考えています。
自分で食べない、水を飲まない、となったら、
強制給餌や点滴などで強制的に栄養をつけない、と決めています。
それは、この本からの知識です。
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この本は、ちょこさんのリンパ腫が再々発して、
「残る治療は抗がん剤しかない、でもいずれガンは抗がん剤に対して
耐性を持ってくる」と岐阜大学動物病院の腫瘍科という
おそらくガン治療の最先端であろう獣医さんに言われ、絶望して、
ならば、せめて最期の時を安らかにしてあげたいと思い買った本です。
もちろん人間用の本なんですが、同じ生き物である以上、
猫にも当てはまると思います。
これらには、自分で食事ができなくなった時、胃ろうなどで無理に
体を生かすことは、苦しい時間をいたずらに延ばすだけであり、
飲まず食わずの方が、意識がもうろうとし、脳が麻酔のような物質を出すので
枯れるように穏やかな死を迎えると書いています。
「食べないから死ぬのではない、死ぬ時が来たから食べないのだ」と。
その時がくれば、感情的には無理に口に食べ物を入れたくなるかもしれませんが、
猫たちを苦しませないため、ぐっとこらえてこれは守ろうと思っています。
安楽死については、たぶん私には、やると決断できないのではないかなと感じています。
ただ、いろんな方のブログなどを読むと、長く苦しんで死んだ猫を看取った方は、
「安楽死というものを完全否定していたけど受け入れるべきではなかったか」とか
「安楽死させないことは自分が悪者になりたくないというエゴだったのではないか」と
書いてる方もいらっしゃって、実際に経験した方がそう思うなら、
始めから完全否定せずに、決断する勇気も持つべきなのかなと思ったりします。
日本人の安楽死に対する考え方はこんな感じの方が多いと思いますが、
たまたまオーストラリア在住の日本人の方が書いているブログを見つけまして、
その方によると、オーストラリアでは、飼っている犬や猫が食べない、動かない、となると
獣医さんが安楽死を勧めるそうです。
それが普通だそうです。
その方は自宅で看取ることを決断したそうですが、周りの人には
「猫が苦しむのを見ても平気なの?」と言われたそうです。
感覚の違いにびっくりしましたが、それもまた愛の形なんだろうと思います。
何をすべきと思うか、何をすべきでないと思うか、
動物本人の意見を聞くことができないだけに、悩むことは多いですが、
愛情をもって判断するのであれば、どれも正解だと思います。